そらとことりと森のうた

森で暮らそう。全ての束縛から解放されて。今だけを生きよう。

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本当の自由、本当の心地よさとは何か。それを追求したら、一番大切なものは食と性にありました。そこに気付くと、みんなが思い悩んで患っていることなど、まるでお伽話のよう。
もっと自由になろう。
もっと心地よく生きよう。

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Posted by ヨーコ on

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野良にゃんこから学ぶインボーロン 1

Posted by ヨーコ on   0 comments

可愛くない野良にゃんこ富。
野良にゃんこについてちょっと調べてみたら、なんとまあ、今どきは複雑なことになっているんですね~!
地域猫活動とか、TNRとか、全然知りませんでした~!
猫ってそんなに厄介な動物だったのか。\(◎o◎)/!

子供の頃親戚からもらった子猫と、若い頃会社帰りに拾った子猫、猫は2度ほど飼ったことがありましたが、当時はまだまだ半野良生活のにゃんこもいっぱいいてもっとのどかな雰囲気だったように思います。
いつの間にそんなに迷惑な動物のレッテルを貼られちゃったのか、野良にゃんこ

富をきっかけに野良猫のことを調べてみて、いくつか疑問に思うことがありました。

私と同じような感想の方がコチラ↓におられましたのでご紹介。

地域猫活動の矛盾と集団ヒステリー

猫に対しては犬など他の動物と同様に人それぞれに好き嫌いがある。だから人と猫が同じ地域に共存するために様々な対策を取ることについて何ら異論はない。しかしTNRの問題は、「断種」を促すことだ。言うまでもなく人類を含めた生物の最大の使命は「種の存続」である。どんな危険な害獣であっても種の絶滅を防止するために完全な断種は行わず、ある程度の個体は温存するのが通例だ。しかしTNRに至っては地域ネコ活動家の間に、種の存続という概念がまったく見当たらない。誰が考えても簡単に理解できると思うが、野良猫にTNRを施せば猫の寿命である数年から十数年経てば、野良猫はこの世から絶滅してしまう。

動物医療従事者などの間でTNRを行っても野良猫の数は減らない、という見解を述べる人もいるが、それはおそらくいくら野良猫を減らしても次から次へと捨て猫が増えるから、という論理なのだろう。しかしこの論理が破綻しているのはまず捨て猫があることを前提にしていることにある。動物愛護および管理に関する法律で、厳に捨て猫は禁止されている。にもかかわらず捨て猫が減らないから、という前提条件を持ち出すことは、暗に捨て猫を許容していることと同じと言える。つまり、TNRを論じる際、家猫を捨てる行為とは別の次元で議論すべきなのだ。問題を整理すると、TNRは「断種」という人類を含めた生物全体の存在にかかわることであり、捨て猫は単に飼い主個人のモラルの問題といえる。法体系から捉えれば、「断種」は最上位概念である憲法に含まれるべき基本的な事柄であるのに対し、「捨て猫」は刑法に値する程度だろう。

相手が猫だからこのような考え方は疎かになりがちであるが、人間に置き換えればよく分かる。いささか品のない例ではあるが、年収100万円にも満たない家族がいたとしよう。そこに子供が生まれる。とても養っていけないからと生まれたばかりの子供を捨てる。あるいはもう先がないからと老人を捨てる。これは明らかにネグレクトであり児童虐待や高齢者虐待で刑法によって罰せられることになる。一方、年収100万円にも満たない家庭で産まれる子供はかわいそう。生まれたところで生きていけない。だからこの夫婦には子供が生まれないように処置しよう。しかも本人の同意無しに、だ。これが断種であって、傷害罪という刑法はもちろんだが、憲法で謳われている基本的人権や幸福追求権を侵害したとして罰せられることになる。
断種は古くはナチスによっても行われた忌まわしい行為であるが、残念なことに現在でもなお優生志向を持つ人たちによって肯定される場合もあると聞く。



TNR・・・これはインボーロンで言われている人口削減、優生学と一緒ではありませんか。
戦後の日本でも産児調節が大々的に政府やマスコミによって刷り込まれて、実は今もその名残の価値観でみんな生活していたりするのですよね。
子供は2人がいいとか・・・。
うさぎ小屋と言われる現在の住まいだって、せいぜい2人しか育てられないような広さに設定されていたんですよ。
それがカッコイイ最先端の住まいだと洗脳されて。

人に自分の生死や遺伝子の淘汰まで管理されていてもエサがあれば幸せな生き方なの?
かわいそうな猫を増やさないためにって・・・。
「かわいそう」って何?

人間だって人工的な環境でここまで繁殖しているわけで、自然な状態だったらとっくに淘汰されてるんじゃないの?
人間は不自然に増え続けて良し、猫は自然には生きられないからかわいそうだから淘汰するべきなの?

ま、環境を守ろうとしたらそれもアリでしょう。
だから私は増えすぎた人間は削減すべしと思っているわけです。

人間様が猫に思うことと同じように、超富裕層様だってそりゃあ、ゴミどもを操作したいわよねぇ。( ゚,_・・゚)ブブブッ

ついでに戦後日本の人口削減にもいろんな思惑があったのね~。
日本人ってアフォねぇ~。やられやすい気質なのかしら。
面白いからリンク先で全文読んでみてネ。


書評『中絶と避妊の政治学 ――戦後日本のリプロダクション政策――』

敗戦後の日本では戦前・戦中とは一変し、経済発展の阻害要因として「過剰人口」とそれを誘発する高出生率は問題視され、人口抑制の重要性が声高に喧伝されるようになる。1948年には、刑法堕胎罪が効力をもつ中、中絶指定医師制度を支柱にすえた優生保護法が成立した。翌1949年の経済条項導入と1952年の審査制廃止を経て、日本では中絶が実質的に合法化される。同法制定の中心的アクターは、産婦人科医であり政治家でもあった谷口弥三郎である。谷口は、表向きは「過剰人口」と限りある資源、「逆淘汰」現象を「問題」とし、「優生学的に劣った子孫の出生防止」と「母体の健康と生命を守る」ことを目的に優生保護法を提案した。しかし、その真なる企図は、医師の利益、すなわち日本医師会指定の産婦人科医による「儲かる」中絶手術の実行権独占にあったという。一方、国家的アクターにとっても中絶の実質的合法化は人口抑制を実現する手段であり、ここに医師という利害集団と国家的アクターとの利害が一致することになる。



インボーロンとかって陰謀でもなんでもないじゃん。
あからさまに今現在もやってるじゃん。
みんなが認識していないだけで。

おつむテンテンな人ばっかりだから、ま、猫と一緒だよね。
とりあえずエサがもらえるから、便利だから幸せだと思ってる。
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